Taste of Japan

自然に寄り添う「和食」の哲学を知り、日本産食材の可能性を探す

オープンキッチンを目の前にした、長いカウンターテーブル。その上には、生産者から届いたばかりの野菜やフルーツが積まれている。皿からこぼれ落ちそうな渋柿は、干し柿にするため店先にぶら下げられ、完成したらプディングケーキに。手のひらより大きな里芋は薄くスライスし、唐辛子、ハーブ、柚子や塩と一緒にフリッターに。さらに、手に入れたばかりという小ぶりの冬瓜を片手に、新しい料理のアイデアへと思いを馳せるシェフの瞳は、少年のように輝いている。

フランス、マルセイユ出身のジェローム・ワーグ。20代でカルフォルニアに渡り、オーガニックレストランの草分け的存在であるアリス・ウォータースの「シェ・パニース」で、25年に渡りヘッドシェフを勤めた料理の名手だ。そんな彼が、はじめて開いた自らのレストランは、東京の下町、神田の一角にある。
「レストランとは何か、自分が作りたい料理とは、フィロソフィーとは何なのかと、カリフォルニアに暮らしている時、悩んでいたんです。そんな時に目にしたのが、忘れもしない2013年のフードリポートです。「和食」がユネスコ無形文化遺産になったという記事の中で目にした言葉の数々に、衝撃を受けました。自然を敬い、新鮮さを求め、自然が生み出す旨味を大切にし、自然が描く美を大切にすること。日本にはそれらに基づいた伝統があると書かれていました」

手際良く目の前の食材を使って料理を仕上げていくジェローム・ワーグ。

ジェロームの心に響いた和食を表現する言葉は、「シェ・パニース」が目指したことであり、彼自身が追い求めていた料理の概念の真髄でもあった。同時に、当時ユネスコが伝えた日本という国を描く言葉の数々も、ジェロームに新しい夢を抱かせてくれたという。
「サンフランシスコには、たくさんのアーティストが暮らしています。絵やオブジェを作る人だけがアーティストではなく、料理人もガーデナーも、輸送業者だって、社会というキャンバスを彩っていくアーティストとしての誇りを持って暮らしています。私自身もアーティストだと、自分に誇りを持っているんです。だから、和食は『“自然の尊重”という日本人の精神を体現した食に関する“社会的慣習”』だと書かれたのを読んで、ハッとさせられたんです」

統一された皿と色とりどりのグラスが愛らしい。店内のインテリアはシンプルな木の温もりが心地いい。

徳島県神山町のすだち鶏のローストにかけられたのは、ラディッシュの葉のサルサ。

2017年、日本で出会った元「BEARD」の原川慎一郎氏とともに、神田に「ザ・ブラインド・ドンキー」をオープン。「100% オーガニック・ジャパン」をミッションに掲げ、無農薬食材を用いたレストランを開業した。そんな人生の大きな変換を彼は、「ポエティック・アドベンチャー」と言って笑う。料理人としてのアーティスト魂が選んだ、東京という地に開業した、唯一無二のレストラン。その壁一面には、アート作品のような日本地図が掲げられている。伝統技術を用いた日本地図を作りたいと、能舞台と同じ木材に、舞台の“松”を描く伝統的な自然塗料が使われた。この地図に、日本産食材の豊かさを表現したいと、出会った生産者の所在地にピンを加えている。コロナ禍を経て再オープンした現在は、週替わりで各地の生産者の野菜を使った定食を提供している。

「今週は、東京近郊の農家“青梅ファーム”の野菜を使っています。開業前の1年間は、各地の生産者と出会う旅でした。人が人を繋いでくれ、いまでも私たちは、生産者に直接会って取引をするようにしていて、いま手元には30件近い志のある生産者のリストがあります。毎週、どこからどんな食材が手に入るのか、予測をしながらメニューを決めて行くんです。調理したことのない野菜に触れると、ワクワクします。なかでも、日本の柑橘のバリエーションの豊かさには感動しました。レモン、柚子、スダチ、みかん……それぞれ産地別にものすごい種類の柑橘類があるんです。無農薬なら皮ごと使用できるので、モロカンスタイルで塩と混ぜてジュースにし、調味料として魚料理などに使ったりしています。野菜だけでなく、北海道の放牧牛は野性的な力強い味わいだし、鹿児島の稀少品種の豚肉は、脂身までおいしい。どこも小さなファームだけれど、そこには作り手の情熱が詰まっているんです。それに日本は、旨味を大切にした加工品や調味料も素晴らしく、梅干し、柚子胡椒、醤油、味噌など、毎日のように驚かされていますよ。私の仕事は、食材が持つ本来の良さを引き出すことなんです」

レモンと塩で発酵させた「塩レモン」はモロッコで古くから使われている調味料としても知られる。

日本産食材に魅せられたジェロームは、日本中を旅するなかで、ある美しい土地にたどり着いた。地方創生のロールモデルとも呼ばれる小さな町、徳島県の神山町。里山を見下ろせる自然豊かなこの町の高台に、環境活動家である妻とともに、小さな家を建設中だ。庭には、サクランボや柚子の木があり、おいしいキノコも見つかる場所だという。
「ものすごい力を持つ日本の森や川や海、それから山の力をもっともっと料理に反映したい。日本にはマジカルな場所が、まだまだいっぱいあるんです」
と目を輝かせるジェローム。食材豊かな夢の地を舞台に、もうひとつの“ポエティック・アドベンチャー”がはじまりそうだ。

レストランはチームだという彼は最後にスタッフ全員での写真を希望。

文・須賀美季 写真・寺澤太郎

ジェローム・ワーグ

フランス、マルセイユ出身。アメリカ、カリフォルニア州バークレーにあるアリス・ウォータースのオーガニックレストラン「シェ・パニーズ」に25年間つとめ、ヘッドシェフを経験。全米の美術館で展開されていた、食べられるアートインスタレーション「OPEN harvest」を、2011年に東京都現代美術館で開催するにあたり初来日。2016年に日本に移住し、翌年、原川慎一郎氏とともにRichSoil & Co.を立ち上げ、東京・神田にレストラン「ザ・ブラインド・ドンキー」をオープンした。

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