Taste of Japan

プリミティブな調理法で提案する、日本産食材の新しい未来

地域の風土、文化、歴史に根付いた“ローカル・ガストロノミー”が味わえると話題を呼んでいるレストラン「三六七(三六五+二)」は、長野県松本市で1300年の歴史を誇る浅間温泉の中心部に建つホテル「松本十帖」の中にある。オープンキッチンの中央には、夏でも火がくべられる大きな炉があり、時折パチパチと跳ねる薪の音が心地よく耳に届く。薪火の前では、このレストランのグランシェフを務めるアメリカ人のクリストファー・ホートン(以下クリス)が、額に大粒の汗をかきながら、忙しく団扇を動かし続けている。

常に火の様子を観察しながら薪を操る。野菜、肉、魚介類……ほとんどの料理をこの炉で行う。壁にはいくつもの焼けた団扇が飾られている。

ここは、365日毎日変わる日本の風土を表現するだけでなく、文化と歴史(+2)も感じられるような料理を、という想いを込めて「三六七(三六五+二)」と名付けられた。そこには、信州を流れる日本一の大河、千曲川と信濃川の総延長が367キロであることにも意味を持たせている。食材が豊富な信州に加え、八ヶ岳や北アルプスの源流から日本海、佐渡までの壮大なストーリーも体験してもらいたいと、長い川の流れとともに徐々に変化していく山、川、そして海からの食材の数々をキッチンに取り込んでいる。そのバリエーションは、日本の地形を物語るものであり、まるで日本が持つ食の豊かさの縮図のようなものだ。

“from the farm、from the sea、from the pasture”と名付けられた、ディナーコースを形作る3つのテーマは、現在進行形でクリスが出合う食材と、その可能性への研究と発見の賜物だ。
看板メニューの前菜「人参のミルフィーユ」の前菜は、スライスした長野産の人参と、タイムや生姜、セージ、ニンニクなどをピューレ状にして加えたものを何層にも交互に重ねて低温でじっくりと焼いたもの。日本産ならではの、人参本来の濃厚な甘みと力強さが感じられる上に、ピューレに加えられたごく少量の醤油が隠し味として人参の風味に奥行きを加えている。仕上げに添えられた近くの牧場で作られたフレッシュなチーズが、素材のさらなる旨味を引き出すひと皿だ。

炉の端では、メインディッシュとなる「安曇野放牧豚の炭火焼き」が、香り高い山桜の炭でゆっくりとスモークされている。
「良質な環境で飼育されている日本の豚肉は、柔らかく臭みもない。何より脂がとろけるほどおいしくて、極上の味わいがあります。じっくりと時間をかけて燻すことで、その旨味がぎゅっと濃縮されて、より一層奥深い味へと変わるのです」
使用される薪は、近くの山から伐採され十分に乾燥させたナラと山桜。木の香りはもちろんのこと、薪の大きさや水分量などで微妙に変わる火加減も、薪料理の難しさだろう。直火故に時間のかかる料理だからこそ、ディナーは計算し尽くされたコース料理として提供される。

「薪料理は火を準備するのにも、調理するのにもすごく時間がかかるものだから、30〜40分先を想定しながら動いています。火がついたばかりの薪と、小さくなった炭とでは、火力も香りも全然違うんです」
炉を目の前にしたカウンター席に座って、見た目も美しいコース料理に感動している間もクリスは常に薪を操っているが、最後のデザートを口に運ぶ頃にはもう、薪は真っ白な灰へと姿を変え、炉の端へと美しく整えられているのだ。そんな炎の演舞が生み出すおいしさの原点は、どこにあるのだろうか。

食事をしてみると納得の奥深いコンセプトが込められた、ユニークなレストラン名。レストランを囲む壁一面には「食」に関するさまざまな種類の書物が並んでいて、すべて購入可能。

2棟あるホテルのうち1棟の「松本本箱」にメインダイニングがある。もう1棟の「小柳」にはカジュアルなイタリアンレストランも併設。

野菜は地元の長野産が多い。季節や天候によって使う食材は変わるが、日本産野菜ならではの素材の甘さと力強さが感じられる料理に。

メインダイニングの中央に備わるオープンキッチンには大きな炉が埋め込まれている。

ワシントンD.C.出身のクリスは、アメリカでホテルシェフを経験したのち、2014年に東京の高級ホテルオープンに合わせて来日。3年ほどホテル勤務をした頃、世界から注目を集めるコペンハーゲンのレストラン「noma」が東京に開店した姉妹店「INUA」で働くことになる。
「INUAは驚きの世界でした。私の経験のベースにあるのは、INUAのチームとの鮮烈な思い出です。なかでも驚きだったのが、キッチンにガス台が無かったこと。お湯を作るためのIHと、薪をくべる炉、それだけだったんです。当時私には18年間のシェフとしての経験がありましたが、そのすべてを覆された感じでした。それは何というか、料理そのものが自然とリンクしているという感覚。素材から調理法にいたるまで、シェフのマインドも感覚も、根底から違う」
INUAでの経験は、クリスに食の未来を見出すきっかけを作った。プリミティブな調理法と、そしてもうひとつが、“ローカル・ガストロノミー”という概念。リアルに人と交流し、自然に触れて食材を手に入れることこそが、彼の美食への好奇心を突き動かしている。

優しく穏やかに話をするクリスだが、料理や食材への情熱や探究心は強くて熱い。

「日本で料理をするようになって驚いたのは、味噌や醤油、酢など、発酵による調味料の“旨味パンチ”です。すべて穀物から作られているにもかかわらず、その風味や力強さはものすごい。日本産食材そのものを新鮮に味わうのももちろんおいしいけれど、発酵は新たな旨味のステージを生み出し、私たちの考えている野菜が主役の料理と素晴らしくリンクして素材の存在感を際立だせてくれるんです。INUAでも、北欧ならではの保存食の文化と日本の発酵文化が合わさったものを目指していました」
発酵で作られたソースも炭火の香りも、日本人にとっては馴染み深いものだけれど、旨味の重層感を大切にしてきたというクリスが作り出すその味わいは、まろやかでありながらや斬新な驚きが感じられる。
「収穫量の多い信州産のルバーブは、4%の塩分、室温20度、1週間という時間が最もおいしく発酵し、スグリ(グーズベリー)の最適な発酵時間は4日でした。食材別に発酵の工程をデータ化していて、将来的にはキッチンに温湿庫も備えたいと思っているんです」 敷地内にある漆喰壁の古い蔵では、部屋ごとの湿度や気温の通年リサーチを経て、この夏シードルの生産が実現したばかりだ。外気にさらして熟成させたリンゴを圧搾機にかけ果汁を搾り、酵母菌によって発酵させることで作られるシードルは、軽くさっぱりとした喉越しが、日本の野菜料理にもよく合う。

深く濃い甘みのある脂が美味しい、安曇野放牧豚の熟成生ハム。

「日本人は、食に対してすごく情熱的だしこだわりも強い。例えばアメリカでは、ひと皿にどれだけの食材が乗っているかという“量”に注目しがちですが、日本は小さなポーションにどれだけ“質”が詰まっているかを大切にする文化。実体験として感じているのは、シェフとしてはじめて日本に来たときに使っていた塩分量が、現在とまったく違うこと。昔は、味を強く強く作っていく作業に尽力していたけれど、いまでは減らして減らして、より繊細に削ぎ落としていく作業へと変わりました」
日本に暮らして17年。都会でのオフの日には、おいしいレストランを予約して行くというのが定番だったという彼はいま、松本での休日には畑を訪れたり清流が流れる渓谷に遊びに行ったりするようになり、その過ごし方までも大きく変わったことに驚いている。

お皿が運ばれてくるたびに感動する、自然の情景が現れるような美しいプレゼンテーションは、クリスの丁寧な手作業によるもの。

「『松本十帖』に来る前、1ヶ月かけてINUAで共に働いていたシェフ4人で、日本中を旅しました。京都からスタートして、大分、福岡、広島、高知、香川……。私たちが扱っていた食材がどんなところから来たのか、日本の生産者を巡りたかったんです。その旅こそが、生産者の声とともに日本の食材の良さを知る原点になっています。丹誠込めて作られたバリエーション豊かな野菜はどれも深い甘味があるし、研究を重ねてうまれた食肉類も、日本人のきめ細やかな感性が生きていると感じました。そうして出合った多くの食材を、より良いカタチでアウトプットしていきたい。人は元来、生きるため、食べるために料理をするけれど、その中で出合う“おいしさ”とは、ミステイクの繰り返しだと思うんです。誰かのミステイクは、他の誰かの“おいしい”を生み出すのだから」
間違えることと発見することは、紙一重。だからこそ、間違いを恐れずに新しい食材と向き合い、絶え間なく研究を繰り返している。日本産食材ならではの滋味深さとプリミティブな調理法によって、その先に出合える、味わったことのない「おいしさ」を、クリスはずっと探し求めている。

文・須賀美季 写真・寺澤太郎

クリストファー・ホートン

ワシントンD.C.出身。幼い頃から料理をする楽しさに魅せられ、15歳からキッチンで働き始める。アメリカのNew England Culinary Instituteを卒業し、マンダリンオリエンタルホテルや数々の有名店で経験を積んだ後、2014年に日本へ。アンダーズ 東京の「the Tavern GRILL」で副料理長を務め、その後、「世界のベストレストラン50」で4度も世界一に輝いた「noma」の姉妹店、「INUA」のシェフとして研鑽を積む。2020年11月より長野県・松本市の「松本十帖」グランシェフ(総料理長)に就任。

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